Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

作文三上(さくぶんさんじょう)

考え事をするのに適しているのは、馬の上、布団の中、トイレの三つだ、とは昔からよく聞かされたことである.それぞれ馬上・枕上(ちんじょう)・厠上(しじょう)という言葉があり、さらに三つまとめて三上と言うとは、禿頭帽子屋さんの文章を読んで初めて知った.

  • 「# 三上」(2022/1/27、禿頭帽子屋の独語妄言 side α)

岩波国語辞典(第六版)を引いてもこの言葉は出て来ない.最近の言葉ではないから、版が古いことが理由ではないだろう.デジタル大辞泉をひくと、欧陽脩「帰田録」の「余、平生作る所の文章、多くは三上に在り。乃ち馬上・枕上・厠上なり」から、とある.それなら漢和辞典をひけば出てくるだろうと、新字源を見ると、「三上」という言葉は見つかったものの「→作文三上」とつれなく、「作文三上」をひいたらようやく説明にぶつかった.

「作文三上」という言葉はいい.気に入った.「三上」だけだと、その三上が何だというのかがわからないが、「作文三上」とすれば、作文のための三上だとわかる.

厠上に連想して下品な話をひとつ.「トイレは思考と空想の場所です」という落書きに、「思考」に「しっこ」、「空想」に「くそ」と読み仮名が振ってあったというのだ.私が読んだのは40年以上も前の「はみだしYouとPia」だが、投稿者のオリジナルとは思えない.長く人口に膾炙したネタだろうと思っている.それはともかく、これが笑えるのは、「トイレは思考と空想に適している」という点に共感できるからだ.

馬上は、今なら自動車の運転中だろう.運転中も、布団の中も、確かにいろいろなことを考える.だから、馬上・枕上・厠上が思考に適した場所(環境)だとすることに異論はない.しかし、お風呂が含まれないのは解せない.欧陽脩先生が風呂に入らなかったわけはあるまいに.

上記のブログ記事の発端になったtweetでは、お風呂でいい考えが浮かんだと書かれてあり、それに対するレスもシャワーの効用を謳っている.三上を引き合いに出しているが、どちらも三上ではない.風呂だと「中」になってしまい「上」にはならないからか.

私は、風呂に入るとブログで書きたいことが次々に思い浮かぶ.どれを題材にするか選ぶのが大変だ、いっそ今日は記事を複数書くか、などとその時は思うのだが、風呂から出て、着替え、机に向かう段になると、その時考えたことはすっかり忘れている.すごくいいネタを思いついたのに、なんだっけ、と必死で考えるが、思い出せない.

運転中も布団の中も、風呂ほどではないが、あれこれ考えることがある.が、その場ではメモが取れないので、結果は同じ.トイレは、今ならメモ帳を持ち込むとか、スマホに録音するとか方法はあるが、昔の汲み取り式の頃は、落としたら大変だから手ぶらで入った.

三上は(風呂場も含めて)思考に最も適しているかも知れないが、記録を取るには最も適していない場所でもあるのだ.

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Claudio_ScottによるPixabayからの画像