Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

数学は世の中に必要か

こんなことは学校で教える必要はない、という議論は昔からあって、数学がやり玉に挙げられることが多かった.もう20年か、30年くらい前の記憶だが、テレビでさる高名な年輩の作家が登場し、「私なんてね、この年齢まで生きてきて、これまで使った数学といえば足し算引き算掛け算割り算だけですよ。計算ができないと、買い物する時に困りますけどね、それ以外なんにも使いませんでした」と話していたことを覚えている。その人は、小学校の算数はともかく、中学・高校で数学を教えるのは時間の無駄である、あんなものは習ったところで何の役にも立たない、ということを主張していた.

良い世の中だなあ、としみじみと実感した.最低限の社会生活を営める能力と、ひとつふたつの特技があれば不自由なく生きて行かれる、それは理想社会だ.キリギリスが冬に飢え死にしたのは、蟻がせっせと働いている時に遊んでいたからではない.社会が貧しかったから.もし社会が十分に豊かであれば、音楽を演奏するキリギリスはなんらかの報酬を受け取り、それで冬には食料を買えただろう.その作家が、数学を知らなくても困らなかったと公言できる世であることを、私たちは寿(ことほ)がなければならない.

ただし、不要だと主張するならば、もしそのことを知り、十分に理解していたら、世の中がどれだけ変るか、ということに思いを馳せる必要がある.その分野が苦手で、苦労した恨みつらみを込めて言っているだけなら、説得力はない.それは単なる劣等感の裏返しだ.

私事で恐縮だが(とはいえ、このブログには私事しか書いていないのだが)、二年ほど前から親の具合がどんどん悪くなり、施設への入所を真剣に検討するようになった.それまで、そのようなことを具体的に考えたことがなかったから、施設といってもどのような種類があるのか、公的なもの、民間経営のもの、短期の預け入れ、長期または永久の入所など、病院や市役所で説明を受けたり、Webサイトをあちこち覗いてみたり、資料を請求して取り寄せたり、見学に行ったりした.

そのような生活を送るようになってから、やたらに老人介護施設が目につくようになった.近所にも何軒もあるし、実家の近くにもあるし、買い物などで遠くに出かけても、往復の道路わきに次から次へと案内が目に入る.世の中にこんなにたくさんの施設があることに驚愕した.こんなにたくさん、あちこちにあるにも関わらず、これまで全く目に入っていなかったのだ.シャーロック・ホームズに言わせれば、「景色を見ているだけで、観察をしていないから」ということになるのだろう.

三角関数だろうが微積分だろうが、知らなくても生きて行かれる.苦手な人は無理に学ぶには及ばない.しかし、もし十分な知識があれば、内容を理解していれば、役に立つ場面はいくらでも体験するはず.知識がない人は、そのような場面を素通りしてしまうだけだ.

私は少なくとも、下記のtweetを見てげらげら笑える程度には三角関数のことを知っていてよかったなあ、しあわせだなあと思っている.