Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

「徒然草」が読めますか

学校で何を教えるべきか.旧態依然とした内容でよしとせず、時代に合わせてフレキシブルに変えていく必要はあるだろう.識者には、そのための議論を大いにしていただきたいと思っている.ただし、定期的に出てくる、こんなことを勉強して何になる、何の役にも立たない、という類の意見は、私の見聞する限りでは、その分野が苦手だった人が、負け惜しみか、劣等感の裏返しかわからないが、そうした個人的な感情で言っているものがほとんどのようだ.

槍玉に挙げられるのは数学が圧倒的に多いと感じるが、しばらく前から、古文・漢文も不要だという意見が出てきているようだ.自国民にとって最も大切な国語の勉強を削ってどうすると思うが、現代国語はともかく、現在使われていない言葉を今さら習っても仕方がないという.

古文・漢文を「現在使われていない言葉」と言い切ってしまう人は、中学生に戻って勉強をやり直した方がいいと思うが、言葉遣いよりも、古典作品それ自体に触れることの価値は、いくら言葉を費やしても足りない.

私が自分の個人サイトを開設したのは1998年.1990年代の前半くらいから、プログラマーや大学の先生などが、コツコツとhtmlを手打ちして個人サイトを開設し始めた.htmlはそう難しくはないが、恐ろしく面倒である.プロバイダと契約する必要もある.一般の人間には敷居が高かった.

1997年9月、ジオシティーズが誰でも無料でホームページが開設できるサービスを開始.これを利用して個人サイトを作る人が一気に増えた.現在のブログとは少し違うが、とにかく某(なにがし)か思うことを文章にして公開するということが手軽にできるようになったのだ.

サイトを作れば名称を決めなければならぬ.「○○のホームパージ」のような何の工夫もない名称も当初は多かったけれど、一方で、ナントカ徒然草、とか、徒然なるままにナントカ、という「徒然」を含めた名称がたくさん目についた.それらを眺めて、深く感動したことを今でも覚えている.

エンターテイメントの最も重要なことは、一般庶民に言葉(表現手段)を与えてくれることだと思っている.誰でも自在に言葉を紡ぎ出せるというものではない.が、何かを言いたい.何かを伝えたい.その時に、過去に読んだ本に使われていた言葉がしっくりくると思ったら、それを使って表現できるのだ.

「徒然」などという言葉は日常生活では使わない.徒然草を愛読書として持ち歩いている人も少なかろう.それでも、これといった明確なテーマもなく、頭に思い浮かんだことを表現するのに、「徒然」ほどぴったりな言葉はないと、少なからぬ日本人が思ったのだ.それを見た人も、振り仮名が振っていなくても読めるし、内容の想像がつく.

そういう古典を持っているのは、素晴らしいことだと思うのだ.


Karolina GrabowskaによるPixabayからの画像