Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

歴史は誰が作ったか

小学6年生の頃.

図書室にあった偉人伝全集に興味を持った.それまで偉人の伝記といえばエジソン野口英世等を思い浮かべていたが、信長秀吉家康に頼朝義経勝海舟西郷隆盛坂本龍馬といった人物に惹かれ、読み耽った.同じクラスの仲の良い友人がやはりこうした話に興味を持ち、鵯越がとか、高松城の水攻めはとか、仕入れた知識を夢中で披露し合った.

ある時、その友人が「坂本龍馬って、本当にいたのか?」と言い出した.だって、誰と会って何の話をしたとか、昔のことなのにどうしてわかるのかと.坂本龍馬は幕末だからまだわかる気がするけど、聖徳太子とか、源義経とか、そんな何百年も前の人のことがこんなに詳しくわかるとはとても思えない.当時の人で、今生き残っている人がいるわけではないのだし.

そしてさらにこんなことを言うのだった.偉い人たちが、こういうことがあったということにしておこう、と決めて作った話を、俺たちが信じさせられているだけなんじゃないか?

この彼の指摘は衝撃的だった.このような疑問を感じたことに驚いた.もちろん自分に回答できるわけもない.そして令和の現在、思い返してみれば、これは歴史を学ぶ上での根源的な問いかけであり、とても素晴らしい疑問であったと思うのだ.

実はこの頃、思い悩んでいることがあった.

小学2年生くらいの時に「太閤記ものがたり」という本を買ってもらった.太閤さま、つまり秀吉の伝記である.秀吉の母親は、お日様が懐に入る夢を見た晩に秀吉を生んだ.だから彼の幼少名は日吉丸という.矢作橋のたもとで蜂須賀小六と出会い、信長の配下になってからは、草履を懐に入れて温めて出世の糸口をつかんだ.などなどの様々なエピソードが描かれていた.

ところが最近読んだ本に、こうしたことはすべて後世の作り話であると書かれていたのだ.矢作橋は当時なかったことがわかっている、と.

上記のエピソードは、自分の持っている本だけではない、いろいろなところで書かれており、事実であると信じ込んでいたから、作り話だという記述こそ、信じることができなかった.が、何を莫迦なことを、と一蹴するには、その説明には説得力があり過ぎた.

そんなもやもやを抱えていた時に「昔のことがどうしてわかるんだ」と言われたのだから、余計にその指摘は堪えた.何百年も(時に何千年も)前のことを人はどうやって知るのか、ということと、当時の私たちが歴史に触れるというのは、伝記小説を読むか、ドラマや漫画を見るかであるが、そこに描かれていることは、もしかしたらすべてが正しいわけではないのかも知れない、ということを漠然と感じるようになった.


Zdeněk TobiášによるPixabayからの画像