Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

出直すのは一かゼロか

「一から出直し」「ゼロからやり直し」という言葉がある.初心に戻り、白紙の状態からやり直すことをいう.後半は「再出発」とか「巻き返し」などと言い換えられることがあるが、これは類義語だから構わない.しかしゼロと一ではかなり違う.なぜ違うのか、どう違うのか、長い間疑問だった.

自分が子どもの頃は「一から出直し」はよく使われたが、ゼロを使った表現はなかった.少なくとも、あまり一般的ではなかった.王貞治ジャイアンツの監督時代、私は20代だったが、(試合に負けたあと)「ゼロからやり直す」を口癖にしているのを聞いて、「ゼロから」という表現がすっかり社会に定着したことを実感した.

自分の親の世代か、その上の世代では、数字というのは1から数えるものだった.もちろん0は習う.そうでなければ10も100も表現できない.しかし0そのものが縦横無尽に活躍するようなことはなかったはず.自分の世代は、数直線や座標平面を描き、その原点がゼロだと、小学校の頃から習った.ゼロは身近で、一般的な数字.そういう世代が育ち、大人になるにつれて、文章表現にもゼロが混ざるようになったのだろうと想像がつく.

ただ、ゼロと一は違う数字だ.違うけれども、同じ意味なのか、違うとすれば、何が違うのか.

その後、数学小史の本を読んでいて、数には整数的な数え方と小数的な数え方があることを知り、驚いた.謎が解けた気がした.

整数的な数え方とは、ものごとを塊として、ひとつ、ふたつと数えていくこと.小数的な数え方とは、ものごとをいくらでも細分化できるものとして捉えること.この場合はゼロが基準点になる.

たとえば、家が角から何軒目にあるかを数えようとしたら、角の家を一軒目、その隣を二軒目、……というように数えることになるが、角からの距離を測ろうと思ったら、角をゼロ地点として測定することになる.

こうした数え方の違いは普段は意識しないが、私たちが無意識のうちに行なっているものである.

月日は整数的に数える.一番目の月だから一月、十番目の月は十月.その二番目の日は二日.ゼロ月ゼロ日という日はない.一方、時刻は小数的に数える.だから一日の始まりは0時0分.

新しい年は1月1日0時0分から始まる.1と0が混在していてもあまり不思議に思わないが、なぜ1月1日1時1分ではないのか.なかなか興味深い現象である.

小数が登場するのは17世紀だから、整数が古代で小数が近代と言えなくもないが、古代ギリシアでは石や羊を数える数論と、砂に線を引く連続体の幾何が同居していたから、新旧の問題というわけでもない.文化的、歴史的な相違なのだろう.

数を数える時には、二通りの数え方があるが、普段、私たちはその違いを意識しない.だから、何かを数える時にどちらで数えるかも意識しない.結果、人によって、状況次第で、別々の数え方をするのはあり得ること.

「一から出直し」も「ゼロからやり直し」も、最初からやり直すという同じ意味.ゼロと一と数字が違うのは、物事の数え方には二通りの文化があり、それぞれ基準になる数字が違うから.ゼロからやり直す場合は、一から出直す場合よりも、さらに手前に戻るわけではない.今は「一から」とはあまり言われなくなった気がする.