Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

個人印刷小史

学校の先生が生徒や父母に案内を配布する場合。部活動などで部員に資料を配布する、イベントで来客に注意事項を渡すなど、要は素人が何十人かの人に同じ内容のものを配布しようとした場合、どういうやり方だったかを振り返ってみる.

自分の小学生時代は、もう50年以上前のことだが、こうした場合は「ガリ版印刷」だった.

ガリ版印刷とは、B4サイズより一回り大きいロウ原紙に、文字や絵図を書いて版下とするもの.ガリ版と呼ばれたやすり盤(砥石のような石でできたやすり)の上にロウ原紙を置き、鉄筆(文字通り、鉄の筆)で線を引くと、その部分がロウ原紙から削られる.その後、ロウ原紙を印刷用紙の上に置き、上からローラーでインクを塗ると、ロウが削られた箇所が印刷される、という仕組みである。やすりの上で鉄筆を動かすとガリガリ音がするところから、ガリ版と呼ばれるようになったとか.

ロウ原紙を印刷台に貼り付けている間は、インキを足せば何枚でも増刷できるが、いったん剥がしてしまうと、二度と印刷はできないという代物だった.

コピー機というものも世の中にはあったけど、当時は「コピーする」ことを「ゼロックスする」と言っていた時代*1.一枚200円くらいだったか.人に配布する資料を人数分コピーする、ということは考えられなかった.

小学校では職員室へ行くと、大半の先生がガリ版を机の上に置き、何か書いていたものだった.が、中学校では職員室でそういう光景を目にした覚えがない.その頃に潮目が変わったのではないか.私より少し年下の人は、ガリ版を知らないかも知れない.

高校生になると、ボールペン原紙が普及した.下敷きの上でボールペンで書けば原紙から削られ、あとはガリ版印刷と同じように印刷に回せる.ガリ版や鉄筆がなくてもよく、何より書くのが楽だった.そのため大量に安価で配布する資料はこの印刷方式が一般的だったが、一方、コピーも安くなった。あちこちにコピー機械が設置され、一枚30円だったと記憶する.レコードの歌詞カードなど、結構気軽にコピーを利用するようになった.

大学生になると、コピーは生協で一枚10円となり、もはや手をインキで汚しながら印刷機を操作する必要がなくなった。さらに、版下を作成するのに手書きではなくワープロまたはパソコンを使うようになり、そうなると人数分をプリントすれば済むようになった。ここに至るまで約10年.劇的な変化だ.

ここから40年、あまり変化がない.今でもコンビニコピーは一枚10円.


*1:複写機を開発したのがゼロックス社だったため、1970年代の半ばくらいまではこう言われていた。キヤノンやリコーが参入するようになって死語になった.