Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

初夢

高校時代に、一作だけ、作詞・作曲したことがある.先日、何十年ぶりかで歌詞を書いたメモを発掘.思い出しながら歌ってみた.かぐや姫か風を彷彿させる、1970年代後半のフォーク調のもの.自分で言うのもナニだが、かなりの傑作だ.幸か不幸か、人前で歌う機会がなかったため、この曲の存在は恐らく誰も知らない.

このまま引き出しの中で朽ち果て、自分が死ぬと同時に無に帰すというのも空しい.そこで、自分で歌って録音し、動画サイトにあげることにする.そうしたら、その懐かしい曲調が60代、70代の人に妙に受けて評判となり、とんでもない再生数を記録.そこに目を付けた音楽プロダクションから連絡があり、改めてレコーディングを行ない、正式にデビューすることに.デビュー曲はオリコン最高位20位を記録.ど素人のデビュー曲としては十分なスマッシュヒットだ.そこでアルバム制作となる.

中学生の頃は100曲を超える曲作りを行なったが、プロのレベルに達しているものとなるとせいぜい数曲.プロダクションは、プロの作詞・作曲家に作らせた歌を歌うように言ってきたが、自分はカバー曲でいくことを強硬に主張.三浦久という人がとてもいい曲を作るのだが、世間的にはほとんど注目されなかった.そのカバーで半分を埋めたいと.

そうして作られたアルバムは、商業的には成功とはいえなかったが、もともと一曲でも世に残せればというつもりで動画サイトに投稿したことから始まったもの.自分にとっては十分満足のいく出来だった.その上、三浦久さんから直接連絡をもらった.このアルバムのおかげで再び注目されたと.憧れだった人と直接会う機会を得る.これ以上の幸せがあろうか.

プロダクションからはそれ以上のレコーディングの話はなかったが、あちこちから声がかかって、一年くらいはライブ活動を行なう.が、それも自然消滅.

…………というようなストーリーをなんとなく思い浮かべた.曲を作ったのは事実だが、我が家にはピアノもギターもないし、あっても演奏する腕がない.録音できる環境も、そのやり方もわからない.まさに夢物語である.石川鷹彦先生とある日どこかですれ違い、その時私が鼻歌を歌っていたのを聞き留めた石川先生から、君、その曲をちゃんと歌ってみないか、僕がサポートするから、とか言われたりしないかしら.