2024年9月30日、山藤章二が老衰のため逝去.87歳.同日のニュース.
週刊朝日に1976年から2021年までの長きにわたり「ブラック・アングル」を連載.「週刊朝日を最終ページから開かせる男」の異名をとる.
週刊朝日は実家が購読していたため、自分も目を通していた.が、政治に疎い自分にはわからないネタが多く、あまり面白いとは思わなかった.
1981年からは「似顔絵塾」も開講.最初の一、二年で塾生のレベルが急激に上がったのは驚いた.初期には「自分も投稿してみようかな」と思ったこともあったが、すぐに「無理無理」になった.*1ただ、自分は「テレビでおなじみの有名人」をあまり知らないため、関心は半ばといったところ.
自分が強く印象に残っているのは「夕刊フジの100回エッセイ」だ.梶山季之から始まって山口瞳、筒井康隆、吉行淳之介、井上ひさし、五木寛之、渡辺淳一、藤本義一、青木雨彦、中嶋梓、つかこうへい、村松友視、影山民夫、林真理子……といった早々たる流行作家が登場するこのコーナーのイラストを担当していた.この一連のエッセイは、名前を挙げた中では渡辺淳一を除く全作品を読んだ.もともと一流の作家たちではあるが、山藤章二との化学反応で名エッセイに昇華されたのでは、と思われる作品も多い.中島梓、つかこうへい、影山民夫は、数あるエッセイの中でも当該の作品が一番面白い.
この「100回エッセイ」は、約四ヵ月休みなしで書かなければいけないため、「ネタが続かない」「つらい」と何人かの作家が作中で弱音を吐いている.が、彼らは100回書いたらお役御免だ.ずっと続けている山藤章二の方がはるかに大変だったのではないか.本人の弱音は作中では見た覚えがないが.
なお、作家の原稿が締め切りに遅れたことを怒るシーンは何度かあったと記憶している.絵師は、作家の文章を読んでから絵を描くため、原稿が遅れると大変なのだ.ヤマフジの場合は、作家の書いた内容に関係なく自分の絵を描いたっていいんじゃないかな(特に、締め切りに遅れている時は)と思ったが、氏のポリシーとしてそれはしたくなかったのか.影山民夫だったか、「先にヤマフジが絵を描いて、それを見てこちらが文章を書く」スタイルを提案したが、却下されたと言っていた.
奇才の人であった.合掌.