Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

歴史は誰が作ったか(その2)

小学6年生の時に、友人から、何百年も前のことがどうしてこんなに詳しくわかるのか? 誰かの作り話を信じ込まされているだけなのではないか? と言われて驚いたことを書いた.

この説明をする前に、重大な誤解を解いておかなければならない.

小学生が触れる「歴史」は、小説か、漫画か、ドラマである.歴史書や専門書を読むことはない.唯一読む「専門書」は教科書だが、登場人物(歴史上の重要人物)のエピソードなどは書かれていないから、読んでいて面白くない.

小説も漫画もドラマも面白いなら結構だ.それで歴史への興味が開かれるなら、なお結構だ.しかしこれらはあくまで創作物である.ある程度は史実に基づいているであろうが、それがどの程度かは作者の力量次第.正確さは保証されない.

そもそも何年何月何日に誰と誰が会ったことが仮に史実だとしても、そこで具体的にどのような言葉がかわされたのか、どのような衣服を着ていたのか、わかるわけがない.動画を撮影していたわけではないのだから.そこは制作者側の想像で埋めていくわけだ.

小学生の頃はそれがわからず、なんでこんな細かいことまでわかるのだろう、と思っていた.それは単純な誤解だ.わかっていたのではなく、創作していたのだ.

小学生が誤解するならかわいいものだが、大河ドラマの感想スレなどを眺めていると、大人でもこの区別がついていない人がいる.史実でなくてもドラマでは許容される.ドラマで史実は語れない.両者は別物なのだ.


Pete LinforthによるPixabayからの画像

歴史は誰が作ったか

小学6年生の頃.

図書室にあった偉人伝全集に興味を持った.それまで偉人の伝記といえばエジソン野口英世等を思い浮かべていたが、信長秀吉家康に頼朝義経勝海舟西郷隆盛坂本龍馬といった人物に惹かれ、読み耽った.同じクラスの仲の良い友人がやはりこうした話に興味を持ち、鵯越がとか、高松城の水攻めはとか、仕入れた知識を夢中で披露し合った.

ある時、その友人が「坂本龍馬って、本当にいたのか?」と言い出した.だって、誰と会って何の話をしたとか、昔のことなのにどうしてわかるのかと.坂本龍馬は幕末だからまだわかる気がするけど、聖徳太子とか、源義経とか、そんな何百年も前の人のことがこんなに詳しくわかるとはとても思えない.当時の人で、今生き残っている人がいるわけではないのだし.

そしてさらにこんなことを言うのだった.偉い人たちが、こういうことがあったということにしておこう、と決めて作った話を、俺たちが信じさせられているだけなんじゃないか?

この彼の指摘は衝撃的だった.このような疑問を感じたことに驚いた.もちろん自分に回答できるわけもない.そして令和の現在、思い返してみれば、これは歴史を学ぶ上での根源的な問いかけであり、とても素晴らしい疑問であったと思うのだ.

実はこの頃、思い悩んでいることがあった.

小学2年生くらいの時に「太閤記ものがたり」という本を買ってもらった.太閤さま、つまり秀吉の伝記である.秀吉の母親は、お日様が懐に入る夢を見た晩に秀吉を生んだ.だから彼の幼少名は日吉丸という.矢作橋のたもとで蜂須賀小六と出会い、信長の配下になってからは、草履を懐に入れて温めて出世の糸口をつかんだ.などなどの様々なエピソードが描かれていた.

ところが最近読んだ本に、こうしたことはすべて後世の作り話であると書かれていたのだ.矢作橋は当時なかったことがわかっている、と.

上記のエピソードは、自分の持っている本だけではない、いろいろなところで書かれており、事実であると信じ込んでいたから、作り話だという記述こそ、信じることができなかった.が、何を莫迦なことを、と一蹴するには、その説明には説得力があり過ぎた.

そんなもやもやを抱えていた時に「昔のことがどうしてわかるんだ」と言われたのだから、余計にその指摘は堪えた.何百年も(時に何千年も)前のことを人はどうやって知るのか、ということと、当時の私たちが歴史に触れるというのは、伝記小説を読むか、ドラマや漫画を見るかであるが、そこに描かれていることは、もしかしたらすべてが正しいわけではないのかも知れない、ということを漠然と感じるようになった.


Zdeněk TobiášによるPixabayからの画像

住民税の支払い

給与所得者は給与から税金・年金・健康保険の費用があらかじめ引かれる.これを天引きと言う.このため、支給額と受取額には大きな開きが生じる.俗に支給額を「額面」、受取額を「手取り」と言ったりする.

徴収する側からすると、天引きであれば取りはぐれがない.支払い側も、面倒な手続きをせず会社側に丸投げでいいから楽.双方とも得する仕組みで結構だが、自分が何に対していくら支払っているのか、という意識が希薄になる問題がある.

今年の市民税・県民税の支払い通知書が届いた.わかっていたことではあるが、こうして改めて見ると、こんなに払うのかと驚く.昨年までは、それが払える収入があったが、今年はゼロ.貯金を切り崩している身には大きい.

四期に分けて払うことも可能だが、無収入では分割する意味は薄い.それで一気に払うことにした.まとめ払いだと金額が大き過ぎてコンビニでは扱えない.コンビニで扱える金額には上限があることを知った.それで銀行へ.

100万円近い金額を支払い、手持ちのお金が一気になくなった.定期預金を崩さなければならない日の到来は近い.

なお、まとめて払っても金額は全く変わらない.まとめた払ったら少しくらいまけてくれたっていいんじゃないの?


S KによるPixabayからの画像

週明け

月曜日から日曜日を一週間とし、いろいろなタスクを一週間単位で管理している.日曜日になると、今日で一週間が終わりなのに、まだ今週はこれしかやっていない、という自責の念に駆られる.今週の予定は昨日ですべて達成した、今日は一日のんびり過ごそう、などということは、残念ながらまずない.

このまま何もせずに終わりにはできないから、日曜日の夜は頑張る.その結果、ソコソコの進捗を達成する.これがいつものこと.

そうすると月曜日に反動がくる.前日に頑張り過ぎ、疲れてやる気が起きないのだ.

日曜日の、それも夜になって辻褄を合わせようとするからこうなる.週の前半からコツコツ進め、週末に慌てることのないようにすべきだ.そのためには月曜日から7分の1を、いや6分の1くらいを行なうようにしなければならぬ.その月曜日は、前日の頑張りで疲れて果てている.悪循環.

そこで考えを変え、月曜日は特に何もしなくてもよいことにした.やる気が起きなくても気にしない.今日は何もしない日だから.一日が終わる時に、何もできていなくても焦らない.今日は何もしなくてもいい日だから.そして早めに休む.これでこそ一週間のいいスタートが切れるのではないか.


Karolina GrabowskaによるPixabayからの画像

iPhoneの画面保護シールを替えた

先日、といってももう数ヵ月も前のこと、iPhoneを落としてしまった.実は、ちょっと落とす程度のことは一度や二度ではないが、今回はかなり高度があり、かつ、硬い床面だった.手から離れた瞬間に、ヤバイ、と思い、落ちた瞬間にガシャンと厭な音が響いて、真っ青になった.

手に取ってみると、はたして画面に派手な亀裂が走っている.ところがなおも凝視すると、割れているのは保護シールのみ.本体に傷はないようだ.この時ほど保護シールのありがたみを感じたことはない.良かった、本当に良かったと崩れ落ちた.

それほどありがたくて大切な保護シールなら、さっさと貼りかえればいい.幸い、予備のシールが一枚、以前から机の引き出しにある.入手経路は不明.退職する時に会社の荷物の中にあって持ち帰って来たもの.

ところが生来のものぐさな性格が災いし、なかなかやる気が起きない.画面が割れているため、見にくい.操作のため画面を触っても反応しないことがある.おまけに強度は格段に下がっているだろうから、今度落としたらアウトだろう.それは百も承知、二百も合点なのだが.

それを、突然、よし、やろうと思い立ち、貼りかえた.ものの5分.5分は大げさか.でも10分はかかっていない.

きれいになった.なぜこれをもっと早くしなかったか.


Matthew PriestによるPixabayからの画像