Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

喜多條忠亡くなる

作詞家の喜多條忠が11月22日に亡くなられたそうだ.74歳。12月1日、日本作詩家協会が発表.

喜多條忠の名前を知ったのはたぶん中学生になったばかりの頃.その頃は喜多「条」忠だったはず.よく松本隆と混同した.どちらも吉田拓郎を経由して知ったが、「風の街」の作詞が喜多條忠で「水無し川」の作詞が松本隆だっけ.「いつか街で会ったなら」がいい曲だから、喜多條忠の方が好きだな、と.今なら「やさしい悪魔」より「木綿のハンカチーフ」の方がいい曲だから、松本隆の方が好きだと答えるかな.

大ヒットした「神田川」をはじめ、かぐや姫にはたくさん曲を提供している.南こうせつは作曲家としてもすぐれているが、作詞は苦手だから、プロの作詞家を呼んできたのだと、当時は思っていた.が、知り合った時は二人とも学生(喜多條が二年上)であり、「マキシーのために」が喜多條忠のプロデビュー曲だったと、今回初めて知った.あの頃はみんな若かったんだ.

もうひとつ、名前の「忠」は「まこと」と読むことも、今回初めて知った.

南こうせつの追悼文を転記する.

喜多條さんの体調不良は知っていましたが、こんなに早く亡くなるとは思っていませんでした。奥様からの留守電で訃報を知って驚いています。
最後に喜多條さんにお会いしたのは、今年の11月5日。御自宅に伺って、ベッドの上に仰向けのままの喜多條さんと、時に手を握りながら1時間くらい話をしました。「二人でもう一度いい歌を作ろうよ、神田川の次は三途の川じゃないからね」と冗談を言ったり昔話をしながら、喜多條さんは涙を浮かべて微笑んでいました。
お互いまだ学生だった頃、喜多條さんは文化放送の新人の放送作家、僕はペーペーのミュージシャンでした。文化放送の近くの喫茶店で二人が意気投合して、いつかきっと青山にでっかいビルを建ててみんなで夢を語れる自由なお城を作ろうよ!と語り合ったのがつい昨日のことのようです。
また一人大事な戦友を失い、寂しい気持ちでいっぱいです。僕はこれからもギターを抱えて歌っていくからずっと空から見守っていてください。
さようなら喜多條忠