Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

通夜の習慣

遠縁の人の訃報.昨日は通夜へ参列のため、富士吉田まで赴いた.

物心ついてから今に至るまで、家族、親戚、職場の同僚、友人知人など、少なくない回数の葬儀に出席した.たいていは仏教だが、仏教にもさまざまな流派がある.キリスト教の式もあった.故人が無宗教だったため、宗教関係者の読経のない式もあった.が、どの流派でも式の段取りはだいたい共通している.

通夜であれば、まずは受付で香典を渡し、ご芳名帳(カード)に住所氏名を記入.それから席に就く.席は、祭壇に向かって一番手前が家族席、右側が親族席、左側が一般席などと決まっていることもある.時間までは静かに座って待つ.時間になると読経が始まる.参列者は家族から始まり、順にお焼香を始める.

お焼香が終わったら通常は再度着席.読経のあとは、弔電が読み上げられたり、喪主から挨拶があったりする.だいたい小一時間程度.仕事が終わってから駆け付けるため、時間に遅れてくる人も多い.そういう人を待つ意味合いもある.

一連の行事が終わったら、通夜振る舞いの席に案内される.酒を飲み、料理をいただきながら、しばし閑談し故人を偲ぶ.その後は三々五々に帰宅.

香典は不祝儀袋に入れる.袋の裏に金額を明記するが、渡す時に金額を告げたりしない.受け取る人もその場では中を確認しない.しかし今回は、御芳名カードに金額を記入するように言われる.あからさまなんだなと思ったら、不祝儀袋はいらないから持って帰るように言われ、驚く.隣を見ると、そこで受け付けていた人は、バッグの中から無造作に一万円札を出し、カードとともに渡していた.

今の朝ドラの言葉(五島弁)を借りれば「ばえーっ」だ.わざわざ薄墨用の筆ペンを買って、ていねいに名前を書いたのに、見てもらえなかったのは残念.

遅れてはいけないと、聞いていた時間より一時間以上も前に着いたのだが、見てみると、家族は既に着席している.しかも、焼香台を挟んで参列者と向かう合うように.そして、来場した人は順にお焼香をしている.お焼香を済ませてから席に就く.次々と人が来る、順にお焼香をする、席に就く.開始時刻になった時は、既にほとんどの参列者がお焼香を済ませていた.

読経が始まる.遅れて来る人もいるので、お焼香は続く.

30分足らずで読経は修了.導師様は退場.が、その後も、誰一人席を立たず、じっとしている.喪主の挨拶もなく、司会者も何も言わない.まだ遅れてくる人がいる(かも知れない)から、このまましばらく待ちましょう、ということなのかとようやく気付くが、やることがないので気まずい.同道した義父が「もう、帰ろう」と言うので、静かに退席し、帰途についた.通夜振る舞いはなかった.

儀式のやり方はそれぞれ.良い悪いを判断する必要はない.郷に入りては郷に従うだけだ.ただ、自分の知っているやり方とはかけ離れていたのは事実.この地方はこういう方式なのか.地元の人は慣れているだろうが、遠方から来る人もいるわけだから、葬儀社の人から何か説明があってもよかったのではないか.

なお、読経の最中もあちこちで大声でおしゃべりの声が飛び交い、施設内はかなり賑やかだった.「まるでお通夜のよう」というのはシーンとしている様子の比喩だが、そういう意味では全く通夜ではなかった.これは、しめやかに見送るのではなく、明るく、楽しく見送るべきだ、皆でワイワイがやがやするのがいいのだ、というこのあたりの風習なのか、単にお行儀の悪い人が多かったのかは、わからない.前者だったと思いたい.

雲に隠れてわかりにくいが、富士山