Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

東日本大震災の教訓

当時、勤務先は品川だった.駅からは歩いて20分ほどかかる、便のいい場所とはいえなかったが、きれいなビルだった.大阪に支社があり、大阪から品川まで出張で来ている人がいた.

その日は、ほとんどの人が残業せず早めに帰宅した.自分は山手線が止まっているというニュースを聞いて、早々に帰宅を諦めた.オフィスはトイレもある、暖房も効いている、何よりインターネットが通じている.そのためニュースサイトなどで状況を把握することができたのは大きかった.電話は役に立たなかったが、メールのやり取りが可能なのも大いに助かった.

大阪から出張で来ていた人が、新幹線が止まっていると言って社に戻って来た.結局、この人と二人で泊まり込むことになった.

メシでも買って来ましょう、と近所のコンビニに行って驚いた.弁当やパンはもちろん、カップ麺など、腹の足しになりそうなものが何もない.棚がスッカラカンだったのだ.こんなにガランドウなコンビニは初めてみる.このような事態になったら真っ先に食料を押さえなければいけない.夕方になってのんびりと買い物に行っている時点で遅過ぎるのだ.これはこの時最初に学んだ教訓だ.

翌朝、新幹線が復旧した、というニュースを聞いて、大阪から来ていた人が「帰ります」と言う.「山手線も間もなく復旧する」とも流れてきたため、それでは一緒に出ましょうとオフィスを出て品川駅まで行った.結論を言うと、間もなく復旧するはずの山手線は午後まで復旧が遅れた.駅はものすごい人出で、立錐の余地もないほど.途中、トイレに行きたくなり、せっかく並んだ列を離れてトイレに向かうが、トイレもものすごい列.また売店には凡そ食べるものはなし.お昼過ぎに、大阪から来ていた人から「無事に家に着きました」とメールが届いた.「私はまだ品川駅です」と返信したら驚いていた.こんなことならオフィスにいればよかった.座っていられるし、トイレの心配もない.「間もなく復旧する」を聞いてフライングで出て来たことが仇になった.二番目の教訓は「運転を再開しました」というニュースを聞いてから動くべきだったということ.それでも混雑していて、すぐには乗れなかっただろうが.

待っていて一番辛かったのは、状況がわからないこと.あと一時間で動くとわかっているなら待てる.逆に、あと10時間かかるというならここで待つのは諦める.状況がわからなければ判断のしようがない.当時の自分はガラケーで、収拾できる情報には大きな制約があった.近くにいる人がスマホで検索して、「~なんだって」と喋っている声が最大の情報源という状態.情報収集という点でスマホガラケーでは比較にもならない.これが三番目の教訓で、自分はこれでiPhoneに替えることを決めた.


Rajesh BalouriaによるPixabayからの画像