Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

出口調査に反対

昨日、参議院選挙で投票を済ませた後、NHK出口調査につかまった.こうした調査はおかしい.やめるべきだとかねがね考えているが、その場で議論しても仕方がないので無視して通り過ぎた.ここで私見を述べておく.

今回も20時に投票が終了すると同時に大半の当確が出た.まだ一票も開票されていないのに.出口調査を元にした判断だろうが、これはおかしくないか.開票しなくても結果がわかるなら、それでは一票を投じた行為は何のためだったかということになる.メディアは何かというと一票の価値がというが、一票の価値を貶めているのはマスコミによる「当確」ではないか.こんなことばかりやれば、投票率が上がらないのも当然だと思える.

もうひとつ、出口調査に反感を持つのは、選挙の秘密を侵害することになりかねないから.日本国憲法では「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」と規定されている(第十五条四).もちろんこれは「秘密にして構わない」ということであり、自ら公言することは構わないのであろうが、公言するのが当たり前の雰囲気ができれば、秘密が守られなくなる惧れが十分にある.だから、誰に投票したかは安易に訊くべきではないし、安易に答えるべきではない.

そして、少し待てば確定したことがわかるのに、それをほんのちょっと早く報じたいがために、この暑い中、大勢の人間を全国各地の投票場の外で待機させているのだ.大いなるエネルギーの無駄遣いだ.

10年以上前だが、石原慎太郎都知事に四選した時に、当確直後のコメントで、マイクを向けた人に対し「こういう報道はよくないよ、あんたら考え直した方がいいよ。いくら出口調査かなんか知らないけど、開票を始めたばかりなのにもう当確を出すなんていうのは、民主主義の基本を否定することになるんじゃないの?」と言っていた.私は石原慎太郎を政治家として全く評価しないが、このセリフだけはいいことを言うと共感した.もっとも、心からそう思うなら、選管から確定の報が入るまでインタビューに応じなければいいのに、開票と同時に当確が出ることを見越してNHKで待機していたのだから、ただ言いたいだけだったのだろうが.


Ervin GjataによるPixabayからの画像

影響

昨日の事件を受けて、今日は街頭演説をやめた人が少なくなかったようだ.明日の投票日を控え、普段、政治にさして興味のない人も、今日は目の前で話していたら、少しは立ち止まって聞くだろう.一般国民が政治家の話に直に耳を傾ける最大の機会と思うが、それが縮小されてしまったのだ.言論というのは、このようにして封鎖されていくのかと、その過程をまざまざと見た思いだった.

夜、NHKで各党の党首の演説を聞く。岸田総理はよほど思うところがあったのだろう.力強く、魂が込められているように感じた.総理就任以来、彼が話すのをそう何度も見たわけではないが、自分の知っている限りでは、かつてなく力がこもっていた.それに対し、他党の党首の話は今ひとつピンとこない.強いて言えば山本太郎ぐらいか.こういうところで差がつくのだ.もし何の知識も予断もなく、この話だけを聞いて投票する人を決めるとしたら、文句なしに岸田だろう.


DitneyによるPixabayからの画像

安倍晋三狙撃事件

7月8日午前11時半、安倍晋三元首相が銃撃された.奈良市近鉄大和西大寺駅前で、街頭演説中だった.犯人はその場で現行犯逮捕.安倍元首相は心肺停止で救急搬送されたが、17時50分過ぎに、亡くなったと報じられた.

お昼過ぎに事件を知り、たいそう驚いた.戦前はともかく、戦後に首相経験者が殺されるなど皆無.口で何を言おうが、現実にそのようなことが起きるはずがないと信じていたところへの痛ましい事件.ここ十数年、こんなことがと恥ずかしくなるような、情けなく思うようなことが次々と起き、日本はもう終わりかも知れないと漠然と感じることがあった.が、今回はそんなこととはレベルが違う.大物政治家が、選挙活動中に襲われ、命を奪われたのだ.

私は、政治家としての安倍晋三には強く批判的である.彼のしたこと、しなかったことが白日の下にさらけ出され、その問題点が多くの人に知られ、結果として、選挙で惨敗することによって政治家生命が絶たれる.これが私の望む筋書きであった.人間としての安倍晋三に何も恨みはない.健康で長生きしてくれればいい.このような形で命が奪われることなど、あってはならないことだった.

しかし、話はこれで終わらない.twitterを見ていると、撃たれた直後から、便乗して野党を批判するツイが出てきていた.犯行の動機も目的も背後関係も何もわかっていないのに、自説の主張にこうした事件を引き合いに出すのは卑怯だ.野党を批判したければすればいい.それはこの事件とは関係ないところですべきだ.勝手に結びつけるのは、安倍氏にも失礼だ.

世界中から追悼の意が寄せられ、テレビでも盛んに紹介された.もちろん追悼で悪口を言う人はいない。美点を並べる.それを聞いていると、安倍氏は希代の政治家であったかのような錯覚に陥る.痛ましい事件で亡くなられたのだ.通常ならしばらくはそうした感傷に浸っていてもよいが、問題は二日後に控えた参院選

票は香典ではない.事件とは関係なく、冷静に投じたいもの.が、自民党が圧勝するかも知れない.そして「このような事件を再び起こさないために」個人の自由を制限する方向に拍車がかかるかも知れない.憲法改正もやむを得ないという方向に世論が傾きかねない.

5年10年経って振り返った時に、この日が歴史のターニングポイントだったということになるかも知れない.だから、この日のことを記録しておく.

とにかく、自分が生きている間に、まさかこんなことが起きるとは.


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歴史は誰が作ったか(その2)

小学6年生の時に、友人から、何百年も前のことがどうしてこんなに詳しくわかるのか? 誰かの作り話を信じ込まされているだけなのではないか? と言われて驚いたことを書いた.

この説明をする前に、重大な誤解を解いておかなければならない.

小学生が触れる「歴史」は、小説か、漫画か、ドラマである.歴史書や専門書を読むことはない.唯一読む「専門書」は教科書だが、登場人物(歴史上の重要人物)のエピソードなどは書かれていないから、読んでいて面白くない.

小説も漫画もドラマも面白いなら結構だ.それで歴史への興味が開かれるなら、なお結構だ.しかしこれらはあくまで創作物である.ある程度は史実に基づいているであろうが、それがどの程度かは作者の力量次第.正確さは保証されない.

そもそも何年何月何日に誰と誰が会ったことが仮に史実だとしても、そこで具体的にどのような言葉がかわされたのか、どのような衣服を着ていたのか、わかるわけがない.動画を撮影していたわけではないのだから.そこは制作者側の想像で埋めていくわけだ.

小学生の頃はそれがわからず、なんでこんな細かいことまでわかるのだろう、と思っていた.それは単純な誤解だ.わかっていたのではなく、創作していたのだ.

小学生が誤解するならかわいいものだが、大河ドラマの感想スレなどを眺めていると、大人でもこの区別がついていない人がいる.史実でなくてもドラマでは許容される.ドラマで史実は語れない.両者は別物なのだ.


Pete LinforthによるPixabayからの画像

歴史は誰が作ったか

小学6年生の頃.

図書室にあった偉人伝全集に興味を持った.それまで偉人の伝記といえばエジソン野口英世等を思い浮かべていたが、信長秀吉家康に頼朝義経勝海舟西郷隆盛坂本龍馬といった人物に惹かれ、読み耽った.同じクラスの仲の良い友人がやはりこうした話に興味を持ち、鵯越がとか、高松城の水攻めはとか、仕入れた知識を夢中で披露し合った.

ある時、その友人が「坂本龍馬って、本当にいたのか?」と言い出した.だって、誰と会って何の話をしたとか、昔のことなのにどうしてわかるのかと.坂本龍馬は幕末だからまだわかる気がするけど、聖徳太子とか、源義経とか、そんな何百年も前の人のことがこんなに詳しくわかるとはとても思えない.当時の人で、今生き残っている人がいるわけではないのだし.

そしてさらにこんなことを言うのだった.偉い人たちが、こういうことがあったということにしておこう、と決めて作った話を、俺たちが信じさせられているだけなんじゃないか?

この彼の指摘は衝撃的だった.このような疑問を感じたことに驚いた.もちろん自分に回答できるわけもない.そして令和の現在、思い返してみれば、これは歴史を学ぶ上での根源的な問いかけであり、とても素晴らしい疑問であったと思うのだ.

実はこの頃、思い悩んでいることがあった.

小学2年生くらいの時に「太閤記ものがたり」という本を買ってもらった.太閤さま、つまり秀吉の伝記である.秀吉の母親は、お日様が懐に入る夢を見た晩に秀吉を生んだ.だから彼の幼少名は日吉丸という.矢作橋のたもとで蜂須賀小六と出会い、信長の配下になってからは、草履を懐に入れて温めて出世の糸口をつかんだ.などなどの様々なエピソードが描かれていた.

ところが最近読んだ本に、こうしたことはすべて後世の作り話であると書かれていたのだ.矢作橋は当時なかったことがわかっている、と.

上記のエピソードは、自分の持っている本だけではない、いろいろなところで書かれており、事実であると信じ込んでいたから、作り話だという記述こそ、信じることができなかった.が、何を莫迦なことを、と一蹴するには、その説明には説得力があり過ぎた.

そんなもやもやを抱えていた時に「昔のことがどうしてわかるんだ」と言われたのだから、余計にその指摘は堪えた.何百年も(時に何千年も)前のことを人はどうやって知るのか、ということと、当時の私たちが歴史に触れるというのは、伝記小説を読むか、ドラマや漫画を見るかであるが、そこに描かれていることは、もしかしたらすべてが正しいわけではないのかも知れない、ということを漠然と感じるようになった.


Zdeněk TobiášによるPixabayからの画像