Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

波乱のプロ野球

今年のプロ野球は本当にいろいろなことが起きている.ノーヒット・ノーランを達成した投手が4人も出たり、ヤクルトスワローズの村上宗隆が5打席連続本塁打をかっ飛ばしたり.

セは既にスワローズが優勝を決めた.パはずっとマジックの点灯していたホークスがもたつき、昨日の最終戦までもつれ込んだ.ホークスが勝つか引き分ければホークスの優勝.ホークスが負けてもバファローズが引き分けるか負ければやはりホークスの優勝.ホークスの相手はマリーンズ.佐々木朗希は投げ(られ)ないから普通にやればホークスが優位だと思った.バファローズの相手のイーグルスは、田中将大が先発.田中は9勝11敗だから、意地でも二桁勝ちたいだろう.それが、ともに逆転でホークスは負け、バファローズは勝った.優勝は二年連続バファローズ

今日はスワローズの最終戦.村上は55号を打ってからピタリと快音が止まり、本塁打だけでなくヒットも打てず.打率がじわじわ下がってきた.三打席ノーヒットならぎりぎり打率首位だが、それ以上ヒットが打てないと、既に試合を終えている大島洋平(ドラゴンズ)に逆転される.

村上は第二打席でタイムリーヒット.これで途中で引っ込む必要がなくなった.その最後の打席で56号本塁打.これで最年少三冠王となった.

三冠王も立派だが、シーズン本塁打記録(61本)は抜いてほしかった.まあ、村上は22歳.記録を更新する機会は、あと10年はあるだろう.

出直すのは一かゼロか

「一から出直し」「ゼロからやり直し」という言葉がある.初心に戻り、白紙の状態からやり直すことをいう.後半は「再出発」とか「巻き返し」などと言い換えられることがあるが、これは類義語だから構わない.しかしゼロと一ではかなり違う.なぜ違うのか、どう違うのか、長い間疑問だった.

自分が子どもの頃は「一から出直し」はよく使われたが、ゼロを使った表現はなかった.少なくとも、あまり一般的ではなかった.王貞治ジャイアンツの監督時代、私は20代だったが、(試合に負けたあと)「ゼロからやり直す」を口癖にしているのを聞いて、「ゼロから」という表現がすっかり社会に定着したことを実感した.

自分の親の世代か、その上の世代では、数字というのは1から数えるものだった.もちろん0は習う.そうでなければ10も100も表現できない.しかし0そのものが縦横無尽に活躍するようなことはなかったはず.自分の世代は、数直線や座標平面を描き、その原点がゼロだと、小学校の頃から習った.ゼロは身近で、一般的な数字.そういう世代が育ち、大人になるにつれて、文章表現にもゼロが混ざるようになったのだろうと想像がつく.

ただ、ゼロと一は違う数字だ.違うけれども、同じ意味なのか、違うとすれば、何が違うのか.

その後、数学小史の本を読んでいて、数には整数的な数え方と小数的な数え方があることを知り、驚いた.謎が解けた気がした.

整数的な数え方とは、ものごとを塊として、ひとつ、ふたつと数えていくこと.小数的な数え方とは、ものごとをいくらでも細分化できるものとして捉えること.この場合はゼロが基準点になる.

たとえば、家が角から何軒目にあるかを数えようとしたら、角の家を一軒目、その隣を二軒目、……というように数えることになるが、角からの距離を測ろうと思ったら、角をゼロ地点として測定することになる.

こうした数え方の違いは普段は意識しないが、私たちが無意識のうちに行なっているものである.

月日は整数的に数える.一番目の月だから一月、十番目の月は十月.その二番目の日は二日.ゼロ月ゼロ日という日はない.一方、時刻は小数的に数える.だから一日の始まりは0時0分.

新しい年は1月1日0時0分から始まる.1と0が混在していてもあまり不思議に思わないが、なぜ1月1日1時1分ではないのか.なかなか興味深い現象である.

小数が登場するのは17世紀だから、整数が古代で小数が近代と言えなくもないが、古代ギリシアでは石や羊を数える数論と、砂に線を引く連続体の幾何が同居していたから、新旧の問題というわけでもない.文化的、歴史的な相違なのだろう.

数を数える時には、二通りの数え方があるが、普段、私たちはその違いを意識しない.だから、何かを数える時にどちらで数えるかも意識しない.結果、人によって、状況次第で、別々の数え方をするのはあり得ること.

「一から出直し」も「ゼロからやり直し」も、最初からやり直すという同じ意味.ゼロと一と数字が違うのは、物事の数え方には二通りの文化があり、それぞれ基準になる数字が違うから.ゼロからやり直す場合は、一から出直す場合よりも、さらに手前に戻るわけではない.今は「一から」とはあまり言われなくなった気がする.

小田嶋隆逝去

2022年6月24日、コラムニストの小田嶋隆が病気のため逝去.65歳.

私がオダジマの名前を知ったのは1990年ごろ.コンピュータやコンピュータ業界の難しい話を、わかりやすく、ユーモアたっぷりに書いたコラムをあちこちで見かけた.業界の片隅に棲息していた自分は、彼の文章を読んで、自分はプログラムが作りたいのではなく、「コンピュータのことをわかりやすく文章で書く」ということがしたいのではないかと漠然と感じ、氏の文章を探しては読むようになった.

著作も何冊か買ってみた.ただ、短い文章はいいが、長い文章は退屈だと思った.また、コンピュータの本当の意味での専門家ではないのではないか、という疑念も生まれた.その後は林晴比古、脇英世などの書く文章に惹かれ、オダジマは読まなくなった.それから30年くらい縁がなかった.

ここ数年、twitterで時折り見かけるようになった.社会問題に対して鋭く切り込んだ投稿が時にバズり、自分のタイムラインに表示される.相変わらず頑張っているのだな、と懐かしく思うと同時に、文筆家のはずなのに、なぜお金にならないtwitterに熱心に投稿しているのだろう、と不思議に思ったりした.

そんな矢先の訃報.初めて年齢を知り、自分とさほど隔たりがなかったことに驚く.好きだったわけでも、よく知っているわけでもないが、同世代の(少しだけ年上の)、少しだけ世に名を知られた人であった.

リンク

内田樹小田嶋隆について書いた追悼記事.交流があったとは意外だ.正反対のタイプに思えるから.実際、記事中で本人も「ほとんど共通点がない」と書いている.

ハー・マジェスティ

二ヵ月近く書かなかった間に起きたことで一番ショッキングだったのは、エリザベス女王が亡くなられたこと.報道では「崩御」という言葉が使われていたが、これには違和感を持った.天皇、皇后、皇太后太皇太后(と上皇)様が亡くなられた時のみに使うべき言葉だと思うから.それにエリザベス女王はとても庶民的でフレンドリーな方だった印象なので、あまり畏まった表現はなじまない.

ビートルズの「ハー・マジェスティ」という曲は、(実質的)ラストアルバムである「アビー・ロード」のラストを飾る曲だが、そこで歌われている女王様が、現在の女王であるQueen Elizabeth IIそのお人であることを知った時は軽いショックを受けた.時代が違うから別人だと思っていた.

その後も長く務められ、節目節目で、まだ続けていらっしゃる、まだお元気だ、と感じていた.

昨年、夫であるエジンパラ公が亡くなられた.99歳.

今年の2月、在位70周年を迎えた.テレビで見る限り、まだ十分元気そうだった.9月には新首相のリズ・トラスの任命式も執り行なった.あとで知れば、在位70周年の時も祝賀行事を欠席したり、首相の任命式も、本来はバッキンガム宮殿で行なうべきところを、滞在先であるスコットランドのバルモラル城からの移動が困難なため、バルモラル城にて行なったりなど、万全の状態ではなくなっていたようだ.

9月9日午前3時、ニュースでその死を知った.96歳.

経歴をざっと調べてみたが、第二次世界大戦フォークランド紛争アイルランドとの和解、スコットランドの独立問題、プレグジットと、当たり前だがまさに英国近代史そのもの.加えてダイアナ妃やアンドルー王子夫妻のスキャンダルなど、家族の苦悩もあった.が、王が彼女であったことで、イギリスはかなり評価を上げたのではないか.

以後、さまざまなエピソードがあちこちで紹介されている.それらをひとつひとつ知るのは楽しい作業だ.一番素敵だと思うのは「「女王に会ったことがありますか?」──エリザベス女王が観光客からの質問に答えた伝説的エピソード」(2022-09-13、Vogue Japan)だ.

亡くなられた途端に、英国の国歌がGOD SAVE THE QUEENからGOD SAVE THE KINGに変更されたのは驚いた.Queen's Englishという言葉も死語になるのか.

60回目の誕生日

ちょっと忙しいと書く時間が捻出できなくなり、ちょっと書かない日が続くと、それが日常になってしまう.きっかけがないと、戻すのは難しい.

今日は誕生日.それを記しておくことにする.

還暦を迎えたことになるが、驚くほど感慨はない.これまでの誕生日で一番節目だと感じたのは二十歳だ.数ヵ月前からいろいろと思い悩んだ.二十歳とは、成人とは、どういうものか、どうあるべきか、自分はそれに相応しくあれるのか.映画「いちご白書」を見たり、「二十歳の原点」を読んだり、飲みに行ったりした.今から思えば、そういうお年頃だったのだ.

今は毎日やることに追われていて、昨日も今日も明日も変わることはない.さいわい健康である.当分この状態が続くのだろう.


Gerd AltmannによるPixabayからの画像