Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

佐々木朗希の完全試合

プロ野球を観なくなって久しいが、昨日のニュースには久々に興奮させられた.佐々木朗希(ささき・ろうき)の完全試合だ.

ネットニュースで「13者連続奪三振」(プロ野球新)と「8回まで完全」を知った.9回にどうなったのか、とても気になったが、自分の環境ではリアルタイム中継は見られない.9回に打たれて惜しくも達成ならずで終わるのでは、などと警戒していた.現実は見事に達成.一試合19奪三振プロ野球タイ)も同時達成.

現役の野球選手には詳しくないが、佐々木朗希といえば、高校三年生の時に、夏の地区大会の決勝戦で投げずにチームが負けたことで賛否両論を巻き起こした選手だ.高校野球は「負けられない」戦いだから、どうしても特定のエースに連投を強いる.その結果多くの野球選手が肩を故障する.佐々木の将来を考えて批判覚悟で登板を回避した國保陽平監督は英断だったといえよう.あれは2019年7月だから、まだ三年も経っていない.

160km/sを超える速球を投げ「令和の怪物」と称されていることは知っていたが、名前を聞かないなとは思っていた.それもそのはず、ルーキーイヤーは一軍出場はなく、体力作りに専念、二年目の昨年、11試合に登板(63と1/3回)し、3勝2敗、奪三振68(!)、防御率2.27と、まだデビューしたばかりの新人.今期はこれが3試合目で、自身の初完投だという.

投球内容はスポーツニュースをはしごして見た.速球の威力はテレビでは伝わってこないが、フォークの落差には驚いた.相手のバファローズの選手が、バットを短く持って、なんとしても三振だけは避けよう、というせこいバッティングをしなかったことに好感を抱いた.

日本で完全試合を成し遂げた投手は、佐々木で16人目.1970年代までは、数年に一度達成者が出ていた(1950年代は5人、1960年代は5人、1970年代は4人).偉業は偉業だが、実力と運があれば不可能ではない記録だった.が、1978年の今井雄太郎から1994年の槙原寛己まで16年開いた.そして槙原から28年.野球のレベルが時代とともにどんどん上がっていて、一人の投手が一試合を投げ切ること自体が難しくなっている.

槙原も若い頃は速球で鳴らした投手だが、完全試合を達成したのは、速球の威力が衰え、技巧派になってから.一般に、豪速球を投げる投手は、奪三振も多いが、四球も多い.また一発を浴びやすい.奪三振数は多くても、失点が多くなりがち.そう考えると、佐々木が速球と制球を両立させているのは、すごいことだ.

21世紀初の完全試合であり、もちろん令和初.もしかしたら、これが最後かも知れない.無理をして故障するリスクを負うより、年間を通じて、あるいは一生を通じて活躍する方が、本人にとっても、ファンにとっても、チームにとってもいいのは自明.次に7回8回までノーヒットで押さえても、試合の終盤はセットアッパーやクローザーに任せるのが自然になっているのではないか.

f:id:chd:20220411165753j:plain