Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

進歩しないマスコミ

テレビのニュースは見なかったから知らなかったが、坂本龍一の訃報を伝えるニュースで「ライディーン」を流したところがあったそうだ.

ライディーン」は、ドラムのイントロ(?)のあとで入って来るシンセサイザーの音の広がりがすごい.坂本龍一をキーボード奏者としてのみ捉えるなら、この曲の紹介も「アリ」かも知れない.そもそもYMOの曲はすべてなんらかの形で坂本も関わっていたはずだというなら、その通りだろう.

しかし、たくさんあるYMOの曲の中から、坂本龍一に縁の深い曲を数曲ピックアップする時に、他を差し置いて「ライディーン」が選ばれる理由があるとは思えない.時間の制約があったとはいえ、選曲した人の判断を疑う.

今に始まった話ではない.自分が覚えているのは1980年12月9日.ジョン・レノンの死亡を知り、ニュース番組を梯子して見た.各局とも、流した音楽は「HEY JUDE」「LET IT BE」……など、すべてポールの曲だった.あれほどの有名人なのに、こんなこともわからないのかと、当時高校生だった自分は情けなく、また悔しく感じたものだ.そもそもビートルズ時代ではなくソロ時代の曲を優先的に取り上げるべきではないか.「スターティング・オーバー」「イマジン」「ハッピー・クリスマス」など、知名度の高い曲はいくらでもあるのに.

2001年にも同じことが起きた.11月29日にジョージ・ハリスンが亡くなった時、新聞に「While My Guitar Gently Weepsでは素晴らしい演奏を……」というとんでもない記事が掲載された.確かに「ホワイト・アルバム」発表時はそのような称賛が相次いだ.それを受けてジョージは「あの曲の中でぼくのギターが、すばらしいブルースのフィーリングを感じさせると書かれた手紙をずいぶんもらうよ。しかし実際はぼくじゃなくってエリック・クラプトンが弾いているんだ」と説明している(「ミュージック・ライフ」1970年5~6月号).これ以降、あのギターはエリックと世界中に周知されたはずなのに、なぜ新聞はいまだにこんなことを書いているのかと、恥ずかしく感じた.

それから20年以上経つが、いまだに変わっていないのだろう.専門家に一本電話して訊けば済む話だと思うが.そもそも教授は、失礼ながらいつXデーが訪れてもおかしくない状況だったはず.その時はこう、とあらかじめ準備しておけばよかったのに.

細野晴臣は75歳でまだお元気のようだが、いつ何があるかわからない.晴臣さんはバンドを組んでいた期間が長く、ソロのヒット曲はない.また他の歌手へ提供した曲にヒット曲が多い.ちゃんと調べておかないと恥をかくぞ.言っておくがはっぴいえんどの「12月の雨の日」は大瀧詠一の曲だぞ.