Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

二度目に読んだのは「かもめのジョナサン」

二冊目に読んだ英語の本はRichard BachのJonathan Livingston Seagullだ.日本では「かもめのジョナサン」で知られる.1974年のミリオンセラー.

自分が小学生の時にブームがあり、クイズをはじめとした様々なパロディが流行したから、本の存在は知っていたが、読んだのはずっとあと.中学生か高校生の時だった.誰にも理解されないまま孤独に人生(カモメ生)を生き、死んでいくはずだったジョナサンに、第一部の最後で理解者が現われる.ぐっとくる.仲間とともに上を目指して充実した日々を送る第二部.自分が得たものをかつての仲間と分かち合いたいと願い、元の世界で追放刑になった若いフレッチャーに寄り添うところで第二部幕.第三部は、元の世界で奮闘する姿を描く.悪く言う者もいれば、慕う者もいる.自分の考えや技術を伝え、糸口を作ったところで去って行く.これで完.短い話だが、スピーディーな展開と、幻想的な写真と相俟って、強烈に引き込まれた.

しかし、繰り返し読めば読むほど、日本語の稚拙さに我慢ができなくなった.黙読していると気にならないが、声に出して読むと、リズムが悪く、耐えられない.たとえば、第二部の最後、元の世界に戻ることを思案するシーン。

もしチャンが、自分が追放されたあの日に彼のところへ来てくれていたとしたら、自分は今までにどれほど多くのことを身につけることができていたことだろう!

前半は「T」音が多くて鼻につく.後半は、こんな短い文章に「こと」が三回も繰り返される.読みにくいことこの上ない.

もしチャンが、彼が追放されたあの日に彼のもとへ来てくれていたら、自分は今までにどれほど多くのことを身につけられただろう!

たとえばこんな風にすれば、ずっと読みやすく、スッキリすると思うのだが.

結局、訳に不満があるなら原文を読むしかない.大学生の時に原書を買った.$2.95、当時のレート(約238円)だと700円くらいだが、実際はその倍くらいではなかったか.

大学受験で高度で長い英文を読む訓練をした.大衆向けの小説ぐらいはすらすら読めるかと思ったが、そうはいかなかった.知らない単語が山ほど出て来る.世の英文の中では平易な方だろうが、邦訳を何十回も読んで至ればこそ読み進むことができたのであり、初見では2~3ページで挫折していただろう.

本書を締めるラストの文、日本語訳はこうなっている.

完全なるものへの彼の歩みは、すでにはじまっていたのだった。

原文は次の通り.

His race to learn had begun.

英語の文章を読み、それが名文かどうか、判断するすべを私は持たない.ただ、これだけはわかった.本作品の文は、大仰な修飾語句が極力排されている.それがゆえに鋭く、力強い.特にセリフの部分は.

五木寛之はあとがきで、本書が「主人公のカモメに現代のキリストの姿を見たり、現代のバイブルのように言ったりする」風潮が一部にあることを冷ややかに見ていると述べているが、むしろ五木寛之の訳が、妙に宗教ぽくしているように思える.上記の例で「完全なるものへの」を付け加えているのが好例.

翻訳の苦労を知らず、勝手なことを言うなと言われれば、返す言葉はない.