今年に入って鮎川誠、高橋幸宏、坂本龍一、そして谷村新司と、J-POPの黎明期から活躍してきた大物ミュージシャンが相次いで亡くなった.
吉田拓郎は引退し、井上陽水も名言はしていないが実質引退状態にある.
一方、現在でも現役で活動を続けている人は枚挙にいとまがない.細野晴臣、小田和正、南こうせつ、伊勢正三、あるいはチューリップ(財津和夫、姫野達也、上田雅利、宮城伸一郎)、スカイ(松任谷正隆、小原礼、林立夫、鈴木茂)、さらに中島みゆき、さだまさしなど……
一昨年は松本隆の作詞活動50周年でさまざまなイベントが企画された。その一環で本人もいろいろなテレビに出演し、はっぴいえんど結成の頃とか、筒美京平とのことなどをいろいろ語ってくれた.その一部を見たが、これまで知らなかった話も多く、興味深く受け取った.
1960年代の後半から1970年代の前半、当時のフォークやロックは一般的にはほとんど認知されておらず、そのため新聞や雑誌で取り上げられる機会は非常に少なかった.音楽の専門誌も少なかった.だから、記録に残っていないことが多い.関係者が元気なうちに、このような企画をどんどんやってもらいたいと思う.
ただ、人間誰しも、何十年も前のことは正確には記憶していないもの.誤解も勘違いもある。記憶が上書きされることもある.だからインタビューする側は、取材相手が言ったことを鵜呑みにするのではなく、きちんと下調べをして、事実と突き合わせ、必要であれば修正をする、あるいはご本人にも資料を見ながら話してもらうなどの配慮が必要だ.本人が話したことがすべて事実である保証はないのだ.
10月17日に日刊スポーツで『フォーク全盛期に「どんな音楽やってるの?」聞かれ怒りの「聞きゃ分かるよ」/ゴダイゴ連載1』という記事を読んだ.18日にDVDボックス「Godiego TBS Dream Time Box」が発売されたことの連動企画だろう.ゴダイゴも一時期脚光を浴びたが、謎の多いグループだった.ある日突然現われてヒット曲を連発する.曲を作っているのも歌っているのも日本人なのに英語の歌詞ばかり.当時の売れセンの曲とは一味も二味も違う.だから結成時のことを記事にするのは大歓迎だ.
ただし、この記事には間違いがある。
というミッキーのセリフがあり、記事本文で
と補足されているが、まずグループサウンズのブームは1960年代に終わっていて、70年代には欠片も残っていなかった.まるで時代が違う.フォーク全盛も72~74年ごろ.75年ぐらいになると、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」や荒井由実の「あの日に帰りたい」のヒット、76年にはアリスやRCサクセションが台頭して、フォークでもロックでもない「ニューミュージック」という言葉が使われるようになっていた.
本文中に「日本語ロック」という言葉も出て来るが、これも古い.1970年くらいに決着はついていて、以後は死語になったはず.日本人が歌うなら日本語だと、完全に定着したのだ.だからこそ、ゴダイゴは異端とされ、当初は排除されたのかも知れないが、また、注目を浴びることにもなったのだろう.
吉田拓郎は「隣の町のお嬢さん」「明日に向かって走れ」、井上陽水は「青空、ひとりきり」「Good, Good-By」などスマッシュヒットを飛ばしているから、拓郎陽水が活躍していたというのはあながち間違いではないが、「全盛」には違和感がある.拓郎は「元気です」(1972)、陽水は「氷の世界」(1973)で一度ピークを迎え、下り坂だった上、76年に拓郎はフォーライフの社長になり、社長業に専念してしばらく歌手活動を止めていたし、陽水は大麻所持で逮捕され、しばらく休業した.ゴダイゴがデビューした1976年は、そういう年だったのだ.
当時を肌感覚で知っている人は還暦以上.メディアで記事を作るほとんどの人は知らない昔のことだろうが、だからこそできるだけ正確に書いてもらいたい.
ちなみにこの記事、その2とその3はとても面白い.自分たちのこと(だけ)を書いているから.
リンク
- フォーク全盛期に「どんな音楽やってるの?」聞かれ怒りの「聞きゃ分かるよ」/ゴダイゴ連載1(2023-10-17、日刊スポーツ)
- CM曲で売れっ子もコンサートは閑古鳥 カッコイイ音楽追求し苦闘の日々/ゴダイゴ連載2(2023-10-18、日刊スポーツ)
- 「ガンダーラ」サビ以外は書き直し 夜中ラーメン屋でミッキー吉野「イケる」/ゴダイゴ連載3(2023-10-19、日刊スポーツ)