Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

怪獣王ターガン

先に結論を述べると、それは「怪獣王ターガン」だったのだが.

何十年も前から、ごくたまに、ふと頭に思い浮かぶワンフレーズがあった.「♪走れ~、走れ~、怪獣王~」というもの.幼い頃に見たアニメの主題歌だというのはわかるのだが、この前後が、歌詞もメロディーも思い出せない.どういう絵かも思い出せない.だから何というアニメなのかわからず、曲を調べようがない.曲の一部だけ思い出すというのは気持ちの悪いもの.なんとかもう少し手がかりになるものが思い出せないかと四苦八苦するものの、思い出せないまま忘れてしまう.そして何年か経ち、ふとしたきっかけでまたそれを思い出すのだ.

20年くらい前に、ネットを検索したら何か出て来るかも知れないと思い、あれこれ検索してみた.が、それらしいものは何もヒットしない.こんな古い情報がネットにあるわけがないのだ.

しばらく前.またこのメロディーがふと口の端に浮かんだため、あまり期待しないでYouTubeで検索してみたところ、ドンピシャでヒットした.タイトルは「怪獣王ターガン」.主題歌のフルバージョンがあった.なんということ! 何度も繰り返し動画を見た.これだ.これに間違いない.音楽も絵も、懐かしい.

ブラウザで「怪獣王ターガン」を検索すると、ちゃんとWikipediaにも項目がある.それによると1969年4月7日から8月11日までテレビ朝日系で放映された由.1969年なら小学生だ.もっと前かと思っていたが意外だ.

ネット上は急速な勢いで情報が増えている.昔はなかったものも、時間が経つと見つかること斯くの如し.良い時代になったものだ.

ところで、動画を見ていて、もう一つ驚いたことがある.リキラー、マリュー、タングロー、ヒューヒューにポーポーという、怪獣というか味方の動物たち.改めて見てみると、バビル二世の三つのしもべにそっくりではないか.ロプロスはマリュー、ポセイドンはリキラー(ちょっとタングローも入っている感じ)、そしてロデムはヒューヒューにポーポーだ.三つのしもべの能力と組み合わせは絶妙で、横山光輝はよくこんなことを考えたものだと読み返せば読み返すほど感心しきりだったのだが、その原型は「怪獣王ターガン」にあったというわけか.

teacupの終焉

2022年8月1日、teacupがすべてのサービスを終了することになった.teacup掲示板やアクセスカウンター、あるいはブログなどのサービスを提供しており、自分も一時期はずいぶんとお世話になった.サービス開始は1997年なので、25年続いたことになる.

かつて興隆を誇ったネットサービスが次々とサービスを停止するのは時代の流れ.メモライズもなくなったし、freeMLもなくなった.そもそも20年も30年も続けること自体が至難の業なのだ.気にしても仕方のないことであるが、ニュースに接し、ちょっと感傷的になっている.


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清水の舞台から飛び降りたつもりで

三菱鉛筆のHi-uniを買った.清水の舞台から飛び降りた気分だ.

鉛筆が使用中の5本のみで新品がないため、そろそろ買わなければと思っており、用事があって出かけた先に有隣堂があったため、文具コーナーへ立ち寄った.

鉛筆はそうそう頻繁に買うものではなく、価格をすっかり忘れていた.改めて確認し、驚愕する.三菱の普通の鉛筆は一本44円.uni★starは66円.uniは110円.Hi-uniは165円.グレードごとに相当な価格差がある.

普通の鉛筆は書きにくいので問題外.今使っているのはuni.そういえばuni★starというのもあったな、以前は使ったこともあるが、そう悪くもなかったかな……と書き味を思い出すよう努め、uni-starでもいいかな、とも考えた.Hi-uniは高過ぎる.uni★starの2.5倍、uniの1.5倍.

自分が物心ついた時からuniは存在した.Hi-uniもあったはず.uni★starはあとから登場したのではなかったか.クラスにuniを使っている人が一人か二人はいたような気がする.ただ、学校のそばのよく行く文房具屋のおばちゃんが、別にuniを使ったら東大行けるわけじゃないしね、と言っていたのは覚えている.商売だから売ってはいるけれど、子どもが使うものとしては分不相応に高いと、その人も思っていたのだろう.

幸か不幸か、学校を出るまで使ったことはなかったから、どんなものかは知らなかった.大人になったある時、たまたま使う機会があって、普通の鉛筆との書き味の違いに驚いた.

学生時代に字を書くといえば、授業中のノートであっても、試験であっても、鉛筆使用が基本.一方、就職してからは、ちょっとしたメモであってもボールペンを使うのが普通.自分も専らボールペンを使った.大量の文字を書いていると、肩や手首が疲れてくる.これは、当初は仕方のないことだと思っていたが、雑誌社に勤める知人から、芯の太いボールペンを使うと楽だと聞き、試してみたところ、書き心地が相当に違うことがわかった.これまで自分は、細い字が好きで、0.3mmとか0.5mmとかのペンを好んで使っていたが、以降はメモ用のペンは1.0mmに変えた.これで随分と楽になった.

楽になる方法はあるのだなと気づき、あれこれ模索しているうちに、ボールペンより鉛筆の方がはるかに手に優しいことに気づいた.以後はペンシルケースを持ち歩き、メモはもっぱら鉛筆を使うようになった.

同じ鉛筆でも、普通のものよりuni★starの方が、uni★starよりuniの方が、書き心地がいい.無論、uniよりもHi-uniの方が……

とはいえ、鉛筆一本に165円はない.高過ぎる.いや、品質を考えれば高過ぎるということはないけれど、自分ごときがこんな高級品を使っていいのか.uniで十分ではないか.uniだって高級品だ.現在使っていて、特に不満を感じていない.

そんな風にしばらく躊躇していたのだが、ふと、1ダースでいくらになるのか考えた.

165円×12本=1,980円.

え、なんだ、たったの1,980円なのか.1ダース買えば、数年はもつのだ.それが1,980円で済む.躊躇する必要はないな、と苦笑した次第.これを使い切る時まで、このブログは存在しているだろうか.

「出る単」が届いた

配送が遅れていたため気になっていたが「試験に出る英単語」(森一郎)がようやく届いた.ちょっと嬉しい.

この本は現在は絶版らしいが、古書店などで比較的容易に入手可能なのは、1997年刊の「2色刷デラックス版」だ.*1今回入手したのは1975年刊の改訂版.自分が学生時代に使ったもの.

本書は学生時代に2回買った.最初に買ったものはバラして持ち歩き、内容暗記に努めた.が、それだけだと辞書的に引きたい時に困る.それでもう一冊購入し、机の上に置いた.バラした方は受験が終わった時に処分したが、もう一冊の方はとっておいたはず.が、数年前に読みたい箇所があって探したが見つからない.

見つからなければ、それでもよいかとその時は思ったが、先日、どうしても再読したくなり、Amazonマーケットプレイスにて購入.この時は「2色刷」しか見つからなかったため、それを選んだ.

この本は(というか、森一郎の著わした本はどれも)内容自体よりも、英語の勉強に対する「姿勢」を説いた文章に迫力がある.参考書にも名文というものがあるのなら、まさにこれがそう.ところが「2色刷」ではその一部が欠落している.記憶にある文章が見つからないし、第一、文章のつなぎがおかしい.単なる落丁というわけでもなさそうだ.あまりにくどいと判断されたのかも知れないが、それならそれで、もう少し前後がつながるように文をいじればよかったのに.

やはり古い版でないとダメだ.再度ネットで探し、ようやく見つけたので改めて購入した次第.何かの間違いでまた「2色刷」が来たらどうしようと不安になったりもしたが、そういうこともなく、無事に届いた.中を開くと、赤鉛筆でところどころ線が引いてあったりする.ご愛敬.

こうして見比べてみると、「2色刷」の方は確かに見やすい.赤い文字を隠すセルロイドのしおりもついており、切ったり折ったりしなくてもチェックがしやすい.活字も読みやすい.その上発音はアメリカ英語になっている.いいところもあるので、これはこれで取っておくことにする.

夏の海辺でガールフレンドとたわむれるのも青春の一コマであろうが、ひとり部屋に閉じこもって黙々と勉学するのもまた尊い青春の姿である。諸君のこれからの長い人生にとって、どちらが真の意味においてカッコいい青春であるのか?

森先生、カッコ良過ぎます。

*1:「2色刷デラックス版」は、森一郎先生亡きあとご子息の森基雄氏によって改訂された版.

スーパーパワーを手に入れたら

今週のNHKラジオ講座の「基礎英語 in English」は、どんなスーパーパワーがほしいかが話題だ.百瀬先生は鳥のように空を飛びたいと言う.もっともその目的は、オーストラリアの友人の作る料理をいつでも食べに行きたいというもの.オーストラリアまで行かれる鳥は限られているし、行かれるとしても相当な時間がかかる.飛行機で行った方がいいと思うけど.

Hannahは、時間を止めるか、進み具合をゆっくりにさせる能力がほしいと言う.一日が24時間なのは短過ぎる.もっと時間があればもっとたくさんの本が読めるのに.Vinayは透明人間になりたいと言うが、その目的は秘密.

時間を止められる能力も、透明人間になるのも、もし可能ならさぞ面白かろう.崇高な目的のためにも使えるし、誰もが即座に想像する、下品な目的にもきっと役に立つ.しかし、自分ごときがもしそういう能力を授かるとしたら、自分以外の人も授かるだろう、世界はスーパーパワーを持った人間であふれているだろう、と考えてしまう.

時間を止めるのも、透明人間も、自分だけが使える時に(そして周囲が自分の能力に気づいていない時に)初めて意味を持つ.みんなが使えるとしたら、全く意味を成さない.そういう能力が普通である世界があっという間に構築され、期待する効果を発揮することはなくなるはず.

空を飛びたい、という能力はこれとは別だ.ダイアログのJoeもその能力を願っているが、理由は、ビルや木よりも高く上がり、街を眺めたら楽しそうだから.これは、みんなができたとしても、その楽しさは変わらない.むしろ、一緒に空を飛ぶ楽しさがある.ただ、混雑した電車に乗らなくていい、という理由はどうだろうか.みんなが空を飛べれば、そもそも電車はなくなる.代わりに空が混雑する.規制もできる.のびのびと好きなところを飛び回るためには、自分だけであった方がいいのかも知れないが.

「あなたに好きなスーパーパワーをひとつだけ授けてあげます、何がいいですか」と神か悪魔かに言われたとする.そのスーパーパワーを授かるのは世界で自分だけであり、かつ、自分がその能力を授かったことを、自分以外は誰も知らない、ということを保証してもらえるのかは、確認したいところだ.一人だけでなくても、自分に縁のない人間なら他にもいてもいいが、もし世界でスーパーパワーを授かった人間が二人いたら、本来は無関係のはずの二人でも、バビル二世とヨミの関係になり、どちらかが死ぬまで戦うことになるだろうから、やはり二人以上いたらだめだ.


Toby ParsonsによるPixabayからの画像