Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

子どもの頃に読んだ本

物心ついた時から本は好きだった.小学校の低学年のころに没頭した本といえば、真っ先に名が浮かぶのは古田足日(ふるた・たるひ)だ.「くいしんぼうのロボット」は何度読み返したかわからない.図書室で古田足日の本を見つけては読み耽ったものだ.

斎藤隆介滝平二郎の絵本も思い出深い.初めて読んだのは「八郎」だったか「三コ」だったか.「花さき山」「モチモチの木」「ベロ出しチョンマ」など、いずれも、物語も絵も素晴らしい.当時、滝平二郎朝日新聞の日曜版に絵を描いていて、多くの人があの切り絵に親しんでいた.

ほかにも松谷みよ子の「龍の子太郎」、佐藤さとるの「おばあさんの飛行機」やコロボックルシリーズ、寺村輝夫の「ぼくは王さま」などに夢中になった.

さらに小川未明坪田譲治宮沢賢治新美南吉などの作品にも親しんだ.親しんだが、設定が古く、言葉遣いが若干難しい.上記の本ほど夢中になったわけではない.

古田足日斎藤隆介松谷みよ子佐藤さとる寺村輝夫などは、大人が読んでも十分に面白いから、全世代にお薦めしたい気持ちもあるが、今でも小学生低学年の必読書としてもいいくらい優れた本であると信じて疑わない.

しかし、図書館へ行っても書店へ行っても、これらの本を見ることはほとんどない.斎藤隆介滝平二郎の絵本は図書館でちょっとだけ見たことがある.それだけ.小川未明坪田譲治宮沢賢治新美南吉らの作品は、少年少女向け文学全集に採録されていることがあり、今でもたまに見かける.

古田足日斎藤隆介松谷みよ子佐藤さとる寺村輝夫らの作品は、ほとんどが私が生れた後に発表されたものだ.当時の新作であり、自分らの親の世代にとっては目新しい作品だったはず.同じように、次々と新しい作家が登場し、新しい作品が生まれているということか.

それはそれで素晴らしいことだが、世代を超えて共有できる作品がないのは寂しい.

鉛筆を捨てる

最近は問題集を解くことをしていないため、鉛筆の減りが鈍い.が、メモは基本的に鉛筆で取るから、一般の人よりは鉛筆を使う方だろう.そもそも普通の大人は鉛筆を使うのだろうか.たまにシャーペンを使うくらいで、鉛筆を使っている人は極めて珍しいのではないか.

鉛筆に限らないが、筆記具はある程度の長さがないと使いづらい.短くなった鉛筆は鉛筆ホルダーに挿して使う.子どもの頃は10cmを切ったら捨てていいルールにしていた気がするが、10cmで捨ててはもったいない.ただ、8cmを切ると鉛筆削りで削りにくくなる.今は7cmを切ったら捨てることにしている.ナイフで削ればまだまだ使えるが、そこまでしなくてもいい.

鉛筆を捨てるのは久しぶり.昨年6月に、使用中の鉛筆が5本あると書いたが、そのうちの1本.鉛筆を捨てるのも儀式だ.

本の処分 第三弾

本を捨てることは、自分の中の何かを捨てること.それで、何かが削られ、抉り取られるように感じることもある.重しが取れて軽くなることもある.

今回処分する本の中で、入手が最も古いのは、高木貞治の「解析概論」だ.教科書ではない.大学に入学して、自分で購入した.理学部ではなく、数学が必修でもないのに、なぜこの本を読んでみようと思ったのか、今となっては定かではない.一人で孤独に読むには難しい本だが、最後まで読み通したことは小さな自信になった.

後年、高木先生のお孫さんと仕事でお世話になった.名字が「高木」ではなく、最初はわからなかったが、誰かに教えていただいて知った時は驚いた.ご縁だと感じた.周囲に「高木先生のお孫さんなんですって」と興奮して話したら、高木貞治を知らなかった.工学部出身のくせに、なんたることだ.

ライ麦畑でつかまえて」は大学の三年生か四年生の時に買った.世界中で読み継がれた著名な作品であること、16歳の少年が社会に対する反発をぶつけたものという内容が、当時の自分の読むべき本だと感じられた.紙質も活字の書体も読みやすいものであったが、1ページ読んで投げ出した.しかし、いつか読む、そのうち読むと思い、こんにちまで手放せなかった.40年読まなかったのだから、もう死ぬまで読まないだろう.

と、語り出すときりがない.これらの本は、もう自分の一部ではないのだ.

続・本を捨てた

本の処分第二弾.既に処分済みだが、改めて見ると悲喜こもごも.

この中で最も古い本は「トランプ・花札の遊び方」だ.物心ついた時には既に家にあった.家族でトランプ遊びをすることが多かったから親が買ったのだろう.不思議なことに、7並べにしてもババ抜きにしても、我が家のルールはこの本に書かれているものとは違った.恐らくそれは親が知っているルールで、つまりこの本を買ってはみたものの、あまり参考にはしなかったのだろう.実際、ページをめくってみても、説明がわかりにくくて、じゃあ今日はこのゲームで遊んでみようか、という気にはならなかった.

「山の上にある病院」も古い本.小学生の時に私の住む市に岩村博士が講演に来られ、それを聞きに行った.会場で売っていたので買って帰ってきた.今から思えば、よく小学生の自分がそんなお金を持ち歩いていたもの.一人で行ったと思うのだが、もしかしたら親と一緒だったのだろうか.「本書を読めば、岩村博士がなぜ日本の無医村ではなくネパールに行ったのかがよくわかる」という帯コピーがついていた記憶がある.実は講演を聞いた時にそれを疑問に感じた.日本にも医者がいなくて困っている地域はたくさんあるだろうに、なぜそこではなく外国に行ったのかと.が、小学生の自分には、その理由は理解できなかった.

不惑の挑戦」野球選手の書いた(ことになっている)本は玉石混交だが、この本は石の際たるもの.恐らくどこかのライターが、ほんの数時間の取材のみで一冊をでっちあげたのだろうことが丸わかりなのだ.それでも、門田の名前でそのライターさんや出版社の人になにがしかのお金が入るのであれば、非難することはできない.そういう人にも生活があるのだ.

「取締役の法律知識」や「人生のヒント」は仕事の役に立つかと思って購入したもの.家にあると、読み返すことがあるかも知れない、と考えてしまうが、処分したために、二度と読まずに済む.さっぱりした.

過去記事

「Boys & Girls」は名曲

「高橋ユキヒロ逝去」(2023-01-15)で、次のように書いた.

サディスティック・ミカ・バンドは、商業的に成功したとはいえないが、日本の音楽業界初の海外ツアーを敢行し、イギリスで評価されたことは自信になっただろう.

高い演奏技術と先進的な音楽性、「黒船」における時間と手間をかけたスタジオでの音作りなどは、業界内では評価されただろうが、一般的な意味でヒットしたとはいえない.その後何度も再結成されたが、ミカもいないし、一過性のものだと気にしていなかった.

たまたまYouTubeで「Boys & Girls」が「おすすめ」され、聴いてみたらとてもいい曲なので驚いた.これはSadistic Mica Band時代の曲.リードボーカルは、桐島かれん高橋幸宏

Sadistic Mika Bandは、あくまで加藤和彦(とミカ)のバンドで、他の人は二人のサポートメンバーのような印象があった.実際、ドラムはつのだ・ひろから高橋幸宏へ、ベースは小原礼から後藤次利へ交代したけれど、それで何かが変わったわけではない.しかし「Boys & Girls」に関してはユキヒロ色がとても強い.バンドが成熟した証拠.

オリコンチャートでも13位に入るスマッシュヒット.この曲を含むアルバム「天晴」は最高位3位.大ヒットといえる.このアルバムが発表された1989年当時は、自分は音楽に全く接しておらず、当時このようなことが起きているとはまるで知らなかった.そのままバンド活動を継続してもよさそうに思うが、この年限りで解散.

2006年にはボーカルに木村カエラを迎え、Sadistic Mikaela Band名義で再々結成.CMに出演し、アルバム「NARKISSOS」を発売.このアルバムも最高位6位とヒット.しかしライブを一回行なって、2007年に解散.こうしてみると、確かに再結成は一過性だったが、その都度、印象的な活動をしていた.

いずれにしても、これだけ何度も再結成されたということは、それだけそれを望む声が大きかったということであり、それをもってしても商業的にも大成功したバンドだったといえよう.

天晴

天晴

Amazon