Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

批判と中傷(その1)

実生活でも、他人の悪口を好んで口にする人はいる.まして匿名性の高いネットでは何をかいわんや.35年前にパソコン通信を始めた時からそういう人はいた.その後インターネットに鞍替えし、ニュースグループや、各種の掲示板、メーリングリストなどを、そして昨今ではtwitterなどを眺めているが、そういう人は常にいる.

ただし、これが「ドラマの感想」に限定すれば、あまり酷い感想を垂れ流す人は、数年前まではさほどいなかった.「カムカムエブリバディ」(2021年10月~)の時にも反省会タグはあったが、本タグと並べる人はいなかった(たまにいると注意された)からあまり目に入らなかった.

一気に増えたのは朝ドラ「ちむどんどん」(2022年4月~)が始まってから.確かにツッコミどころのある作品ではあったが、読むに堪えないようなひどい発言が大量に噴出した.反省会タグをつけておけば何を言ってもいいといわんばかりの内容.その上反省会タグと本タグを並べる人も次々登場し、それを注意できる状況でもなくなった.

自分はドラマを見たあと、twitterでタグ検索し、他の人の感想を読むのを楽しみのひとつにしていた.自分が見ているドラマをけなされれば腹が立つし、悲しくも感じる.「ちむどんどん」は自分も面白くないと思ったため、一ヵ月ほどで見るのをやめた.タグ検索もしなくなった.しばし平和が訪れた.

「舞いあがれ!」(2022年10月~)を見始めて、再びtwitterでタグ検索を始めたのだが、驚いたことに、「舞いあがれ!」の本タグで前作に関するネガティブなコメントをする人が大量にいた.「舞いあがれ!」について一言述べたあと、「それに比べて前作はひどかった」というように.なぜいちいち前作を引き合いに出すのだろう.むしろ今作を引き合いに、前作のネガティブコメントがしたい、ということのように感じられた.この人たちは、まだまだ言い足りないのだ.これは病気だ、後遺症だなあと思っていたら、後遺症タグまでできていた.タグを作るのはいい.他のタグと並べて記すな.なんのためにタグを新しく作ったのだ.

一週間くらいで収まるかと思ったが、一週間経っても二週間経っても収まる気配を見せない.そのうちに「舞いあがれ!」そのものについてのネガティブコメントも増えて来た.さらに、大河ドラマにも反省会タグができ、そして反省会タグをつけなくても、堂々とネガティブコメントをする人が増えたいった.

そうした傾向に嫌気がさし、タグ検索を控えるようになった.また、自分からは発信しなくなった.かつて面白かったことをやめるのは残念だが、不愉快な思いはできるだけ避けたい.

自分はドラマ好きの人を多くフォローしている.だからタグ検索をせずとも、自分のタイムラインはドラマの話題で賑わっている.平気でネガティブなことを口にする人はあまりフォローしていないから、タイムラインの中だけを見ている限りでは、さほど嫌な思いはせずに済んだ.

この流れが変わったのは、大河ドラマ「どうする家康」がスタートしてから.この作品は自分のタイムラインの中でも評価が割れた.高く評価しない人がいても構わないのだが、そういう人がネガティブなコメントをするようになった.むろん、褒めている人もいるのだが.

ここ数年を振り返ると、「ちむどんどん」以来、ドラマを見ておかしいと感じる点があれば、どんどん指摘していいのだ、自分が面白くないと思ったら面白くないと書き込んでいいのだ、むしろそうすべきなのだという空気が大きく広がったように思う.この空気には抗い難いものがある.公開されたものは批判されて当然、それを制限することは発言の自由を損なうものだとか、悪いことは悪いとはっきり言った方が、今後改善される可能性があるとか、彼らにも言い分はあろう.それを避けようと思うと「twitterを見るのをやめる」くらいしか選択肢がなくなってきた.

以上、ここ数年あったことを、時系列でざっとまとめてみた.