Adminではないけれど [隠居生活編]

主に無職の身辺雑記、たまに若い頃の自慢話。

「嫌い」と「悪い」は違う

誰しも好みというものはある.それは構わない.誰からも否定され得るものではない.面と向かって「私はあなたが嫌いです」と言うのは道徳的観点からやめた方がいいという判断はあるだろうが、そういう意見を持つこと自体は自由だし、口にするのも勝手だ.

一方「あんたはダメ人間です」とは、軽々に判断していいことではない.政治家としてどうか、歌手としてどうかといった「評価」はあり得るが、その場合は明確な基準を示し、それと照らし合わせ、誰もが納得のいく説明をする必要がある.

もちろん「もの」「作品」についても同様.

今年の大河ドラマ「どうする家康」をダメ大河だと言う人があとを絶たない.SNS等で流れて来るその手の発言は無視していればいいのだが、タグをつけて発言されると厭でも目に付く.

「どうする家康」はこれまでのものとは一風変わったスタイルだ.私はとても面白いと思って見ているが、どうにも許せないと思う人がいるらしい.長年大河ドラマを見続けている、いわゆる「ガチ勢」の中にそういう人が少なからずいるだろうと、想像はつく.

「私は今年の大河は嫌いだ」と言うなら、この面白さがわからないとは残念ですね、と思うだけだ.だが「今年の大河だはダメだ」と言われたら、無心ではいられない.それに、そうした声が制作陣や出演者の目に入ることで、制作のモチベーションが下がりはしないかと、心が痛む.

批判があってもよい.しかし、批判をするなら明確な理由を示すべきだ.きちんと理由が示されていれば、なるほど確かにダメですねと、こちらも納得するかも知れない.あるいは相手の論理破綻を見抜き、言っている人が間違っていると判断できるかも知れない.理由を示さず、自分の好みに合わないからダメでは話にならない.ネットニュースなどで、署名入りの原稿でもそのように書く人がいる.ライターとしての矜持がないのかと言いたくなる.

ちなみに「視聴率が低い」ことは全く理由にならない.ドラマの良し悪しはドラマをきちんと見た人だけが判断できること.見ていない人がどれだけいようと、何の根拠にもならない.

制作陣は、新しい試みはどんどん取り入れてもらいたい.その結果はうまくいくこともあれば、そうでないこともあるだろうが、それも含めてどんどんやったらいい.失敗を恐れてこれまでの二番煎じ、三番煎じのような作品を作っていては進歩がない.

「どうする家康」のよいところは、最初から「今年はこれで行きますよ」ということをはっきりと示し、それがブレていないところだ.こういうのは好き嫌いがあるでしょう、嫌いな人は離脱してくれていいんですよ、と宣言をしていたのだ.潔い態度だ.何ヵ月も我慢して見続けてきたが、これ以上我慢できない、もう見るのをやめると声高に叫ぶ人もいるが、今ごろ気づいたのですか一体これまで何を見ていたのですかと言いたくなる.

ま、CGがチャチいのは事実だ.でも、これまで依頼していたウクライナのCG会社が軒並み連絡がつかなくなったらしいから、そこは仕方ないんじゃないですかね.


yesman111によるPixabayからの画像